グッときた言葉①

 

 

       子どもは1人で立つために生まれてくる。

 

       親は、それを見守るだけ。

 

       命がけで守るだけ。

 

 

 

 

 

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コメント: 3
  • #1

    秘密 (日曜日, 26 8月 2012 20:39)

    私は龍馬塾なんか必要ないと思います。子供、大人達が集って遊んだり色々する所は分かりますけど、だけど、「うるさい」、「未成年が上で煙草を吸っている」、「迷惑」などの事を言っている人たちがいました。大体龍馬塾で集まらなくても他の所で集ったって、同じじゃないですか?しかも夜の9時になっても龍馬塾の中に子供がいるって可笑しいです。もし子供達に何かあったら責任とるんですか?って私は思います。

  • #2

    秘密 (日曜日, 26 8月 2012 20:47)

    責任とるっていうかとれるんですか? これを見てウザイと思っていても私は正直に言っただけです。これ以上は何も書き込みませんから安心してください。

  • #3

    Mr.X (金曜日, 21 9月 2012 01:07)

    責任とれるのですか?これはよく日本の国の中で聴く言葉です。
    責任とは法的責任のことでしょうか?道義的責任のことでしょうか?
    そしてそれは、誰に対する責任でしょうか?
    いま、全国各地で雨後の筍のように露見してくる学校や教育委員会のイジメ対応問題、あれだって責任は全くとれていないのでしょうね?
    教育委員会や学校関係者が法的な責任を問われたケースはまだ少ないようですが、道義的責任は残るでしょう。意図的に知らないふりをしたり、隠蔽しようとしたりと、命の重さに目を耳を塞ごうとしたわけですから。
    責任、責任と誰かになすりつけるのではなく、その場その場で一人一人が自分の最善を問いかけるしかないように思います。
    龍馬塾でも常に「よりよき道」は求めて議論しています。

    「・・・してはいけませんよ!もう責任負えませんからね。あなたには関わりませんよ」と突き放すのみではなく、「どうして・・・するの?何がしたいの? 何が君の幸せ?何をして喜ぶ?」を問い続け、「一歩でもよりよくなるように努力してみない?」と投げかけ続けることも必要ではないかと感じます。

    龍馬塾を選ぶも選ばぬも、それは自由です。
    誰も来ようとしなければ開くことはありません。